トップページ>写真館入口>鉄道写真館>嵐電

嵐電の部屋(京福電気電鉄・京都)

京福電気鉄道は、戦時中に京都電灯が所有していた鉄道部門を分離して昭和17年に設立された。
設立当初は嵐山本線・北野線(通称・嵐電)と叡山本線・鞍馬線(通称・叡電)を営業していたが、昭和61年4月に叡山本線と鞍馬線が独立し、叡山電鉄となった。
嵐山線の路線自体の設立は明治43年に嵐山電車軌道が、四条大宮〜嵐山間を開通させたことに始まる。
その後大正7年に京都電灯に合併。大正14年から15年にかけて、北野線が開通し現在の路線になった。
ちなみに京福電気鉄道は社名から判るとおり京都と福井を結ぶ計画で建設が進められた私鉄であったらしい。

モボ103 車折にてモボ101型103号車 車折にて
モボ101型は昭和4年に製造された。登場時のスタイルはク201型を両運転台にしたスタイルだった。
その後昭和50年に武庫川車両で車体更新を行い、モボ301が他動用の車体に載せ変えた。

モボ105 京福嵐山にてモボ101型105号車 嵐山にて
嵐電の形式「ボ」とは
嵐電の形式記号には「モボ」と「ク」があり、、他の会社ではあまり聞かない。記号を使っている。
一文字目の形式記号は、他社と同じ使い方である。
「モ」は、モーター車(私鉄に見られる「デ」は電動車の「で」とある)
「ク」は、諸説が様々あるが、モーター車にくっついているから「く」
(但し、クモ〜となると、この意味が崩れてしまう)と言う意味がある。
二文字目の「ボ」は、嵐電の場合、ボギー車(*1)が登場した時、開業当初から運転していた2軸車と区別するためにつけられた。
ちなみに「ク」が登場したときには、2軸車は無く、区別する必要性がないので「ク」だけになっている。
一般的に2文字目は、昔3等級制だった頃の名残で、「イ」「ロ」「ハ」で等級を表し、形式で等級を区別できるようなっていた。
(*1)ボギー車とは、2軸の車輪で1台車を形成し、それが2組で車体を支えている車両…要するに普通の車両のことです。

モボ105 車折にてモボ101型105号車『おこしやす号』 車折にて
嵐山〜北野白梅町直通運転の車両


ク203 京福嵐山にてク201型 203号車 嵐山にて
昭和25年に製造された制御車。多客期やラッシュ時の増結用として使用された。2両目に連結されているのはモボ121型でク201型と連結するために、2個モーターから4個モーターに増設した車両であった。
ちなみに、写真から判るように2両とも、ドア扱いのための車掌が乗務していた。


モボ302 帷子ノ辻にてモボ301型 302号車 帷子ノ辻にて
昭和46年に手持品のモーターなどを利用して製造された車両。
昭和63年に冷房改造された。

モボ503 車折にてモボ501型 503号車 車折にて。

モボ500型は嵐電初の冷房車として昭和59年に登場した。
足回りと制御関係機器は在来車からの流用で作られた。

鉄道写真館表紙に戻る