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鉄道線(その2)
2600系
2600系は、京阪の最大勢力車両である。
登場した経緯は、2600系が登場する以前から、1983年に600Vから1500Vへの昇圧が計画されていた。その時、第一線で活躍していた2000系をそれに対応させるには多額の経費がかかるため、また冷房化率向上、車両性能統一のために2000系の代替新造という名目で増備されることになったのが2600系である。
そんな2600系も大別すると2タイプあり、ひとつが寝屋川工場で作られたタイプで、停止時に回生ブレーキを常用することを実用化した2000系『スーパーカー』の代替車として新造され、再生利用可能の物は、整備の上再利用した上で作られた車両である。
もう一つは1980〜81年に、川崎重工業で完全新製されたタイプで、1800系の代替新造という名目で増備された。
2605 丹波橋にて
2600系の特徴は、なんと言っても柔軟な編成が組めることである。
最小編成単位は2両編成で、2両、3両、4両の固定編成が存在し、組み合わせにより最大8両編成まで組むことが可能である。
2624 丹波橋にて
2812 中書島にて
2824 中書島にて
2632 淀屋橋にて
2600系の30番台車。完全新製車である
前面の顔つきがどちらかと言えば2200系に近い。
2600系簡易運転台撤去車 車掌台側
2600系の4両固定編成には、2両編成の運転席を撤去し、4両固定編成にした車両が存在する。
ただし、その方法も二つあり、元の運転席部分を撤去し、完全に客室化してしまう車両と、写真のように一部機器を取り外し、もしくはカバーを掛けただけで、客室扱いとしている、簡易的に撤去した車両が存在する。
こちら側は、放送用の機器や乗務員扉の取手等を取り外しただけである。
ちなみに、乗務員扉の窓は、きちんと開きます。
2600系簡易運転台撤去車 運転室側
車掌台側を見ただけだと、初期の京成電鉄や、昔の営団丸の内線500系車両、JR113/115系、気動車のように、車掌台側に計器類にカバーを掛けて客室として解放し、運転台側は半室状態で鍵をかけ、中間車代用にしまう事が多いが、京阪の場合は、運転台側もカバーを掛け、必要機器を撤去し客室として使える状態になっている。
そんな運転台側は、一見すると、運転台を撤去してしまっているように見えるが、運転席の計器板やスイッチの上にの上にカバーを取り付けているだけなので、必要ならばその他撤去した機器を再度取り付け、整備するだけで再度先頭車に仕立てることが…出来るらしい。だがしかし、車籍上は中間車になっています。
1900系
1900系は特急車を改造した車両で、現在では主に、宇治線、交野線を中心に活躍している。
車両は昭和31年製の旧1810系を淀屋橋地下線開業の昭和38年に、空気バネ台車を装備した17両を1900系へ格上げ改造した車両と、昭和38年に新造された1900系車両がタネ車で、車体形態が2種類あるのもそんな事情からきているのである。
特急車時代には、3000系が登場するまで京阪電鉄の看板的車両で、一部車両にはモノクロテレビを搭載していた。その後、昭和46年に登場した3000系が次第に増備されるにつれ活躍の場を狭めてゆき。昭和47年より一般車改造が行われるようになった。
その工事内容は、ロングシート化、車体中央部に扉を増設し3扉にし、そして一般車の塗装がされた。また、一部の元両運転台車両は扉間の窓枚数の都合上、片開き扉ではなく、両開き扉で増設された。
1929 宇治にて
平成14年に入り、一部車両に廃車が生じている1900系。
10000系の増車で働く場が狭まりつつある。
1916 三条にて
1918 丹波橋にて